「嫌い」は「好き」の証明である

そもそもこの、最後の長尺の挨拶が久しぶりだったのだ。

無かった年だってその分、他の形で気持ちを伝えてくれていたから大満足だった。

 

ただ、5人がスポットに照らされて立った時。今年は、5人の気持ちが「言葉」で聞けるのかと、少し胸が騒いだ。

あぁ、順番が回ってきたら、この人は何て言うんだろう。

 

 

 

「この20年5人でやってきてどうでしたか?っていう質問が、僕は大嫌いです。最近よく聞かれるんだけども。じゃ、お前らに分かるんだな?と」

 

今日のお礼を述べた後、すぐそう言った。

(あ、私今からこの人が言うこと、絶対に忘れたらダメなんだ)と思った。それはもう、直感とか本能とかそういう類のもので。会場にいる5万人の、呼吸が止まった気がした。いや、私が息を吸うことを忘れていただけかもしれない。

 

「甘っちょろい20年じゃないし、人生ぶん投げて20年肩組んで、1日1日過ごすっていうのは、たぶんこの4人しかわからない。」

「翔ちゃんも言ってたけど、その4人が、減ることもなきゃ、謎に増えることもなく。やってこられたっていうのは財産だなと。」

 

そうだった。二宮和也はいつもそうだ。

ずっと見てきたから、ずっと聞いてきたから分かるよ。あなたが、誰よりも嵐のことを信じていることを。あなたが、誰よりも嵐のファンであることを。あなたが、誰よりも嵐を想っていることを。だって、そうでしょう。「5人」って言ってもいいところを「4人」って無意識に言う癖も知っているんだよ。私はこの癖が結構、ていうかだいぶ、好きなんだ。ニノの瞳には、20年間ずっと変わらず4人が映っているんだね。…そんで私、やっぱりパンフレット読んでから行って正解だった。というのもこの挨拶とパンフレットのインタビューにはちょっと関連性があって。今回のパンフレットにはちょうど、20周年を迎えたことに際してファンやメンバーや家族や友達、先輩後輩、ジャニーさんに対してのありがとうの思いを聞かれるページが5人それぞれにあった。それ読んだときには、本人も言ってる通り「この面倒くささが二宮和也だ」なんて思っていたけど(読めばわかる)。もちろんそんなニノが好きなんだけどさ。初日の挨拶、めんどくさいこと言うなぁなんて、1ミリも思わなかった。不思議だね。それと、パンフレットの翔ちゃんのニノに対する文面が、これほどこの挨拶を表してることもないんじゃないか。私は、あの翔ちゃんが紡いだニノに対する言葉が、思いが、一番好きだ。基本的な物事の捉え方が違う二人が、初日の挨拶でこぼす言葉は同じだった。「この5人で変わらず、共に歩んでこれたことが財産である」と。ニノは、というかまあ他の4人もそうだろうけど、「この5人がいればいい」んじゃないんだよね。「この5人じゃないとだめ」なんだよ。「謎に増えることもなく」っていうニノの言葉は、本人もちょっとしたユーモアのつもりだったかもしれないし、会場も少し笑ってたけど、結構大事なことだ。二宮和也はもし嵐が4人になったら辞めるだろうけど、6人になっても辞めるような人だから。挨拶を聞いてる間、そりゃ涙は止まらなかったけど、別に意外だったことは一つもない。でも改めて、というか、あんなにストレートに嵐を語ってくれることってなかなか無いから、ハッとしたのは事実だ。でも、ずっとそうなんだ。二宮和也は。「4人にしか分からない」って思ってることも分かってるよ。分かりきったことの確認ごとは嫌いだよね。「ありがとう」を無駄にしたくないんだよね。一言では言い表せないことがたくさんあるんだよね。20年目だから終わりなわけでもないし、21年目から始まりなわけでもないんだよね。1年1年、大事に歩んでくれてるんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それと、

それ全部、音楽で伝えてくれてありがとう。

 

5×20

忘れたくないの。メロディーとか歌詞とかだけじゃなくて。

5色の光も、モニターに映った写真も、涙を拭ったことも、

空気とか、匂いとか、振動とか、歌ってるときの表情とか全部。

 全部、くれてありがとう。

 

これから続く長旅が無事でありますように。