私の人生とムビナナに贈る花束

思い返せる中で自分がオタクであった一番古い記憶は小学1年生の頃、児童会館からの帰りが遅くなって好きなアニメがビデオに録画できずに泣いたときのことだった。

 

今当たり前にあるレコーダーのような、好きな番組を自動で予約しておいてくれる魔法のアイテムはなかった。録りたい番組が始まる時間にビデオを入れたデッキのボタンを押して録画を開始できないと、テープには残らない。

その日その瞬間自分が見たかったものが見れなくなったこと、今まできれいに並べて集めてきたものが途絶えてしまったことが悔しくて悲しくてたまらなくて泣いた。

昔からアニメや漫画は親や姉妹の影響で幼い自分の日常の中に勝手に溢れていたけど、そんな中でわたしとアイドルとの出会いはとくべつだった。

 

アイドルと共にある自分の人生が好きだった。

ラジオが始まる時間に合わせてやってることを終わらせる、テレビに出ると決まったら本当にテレビに向かって正座をして待っていた。雑誌がでたら写真にときめいて、かと思ったら熱い思いのインタビューに胸がくるしくなったりした。どんな媒体で見てもそれぞれにそれぞれを好きだと思った。どんな顔も好きだった。それを追いかけるのが好きだった。朝起きたら新しいドラマが決まっていて、めちゃくちゃうれしくてまだ始まってもない7月からの3か月に浮かれたり、街を歩いていたら巨大な広告が出されていて、やばい、これってもしかして売れてる?なんて心臓をバクバクさせながら普通の顔をして歩いたり。ただ生活してるだけなのにこんなにも心がうごく。アイドルを好きでいたからできた友だちが、出会えた人たちがたくさんいた。今でも大好きで親友になった子もいれば、どこでなにをしているかわからない人もいる。それでもたまにふと思い出す。あの時あの瞬間に溢れんばかりの気持ちを共有したこと。

毎日が楽しい。好きなだけで楽しい。やることがたくさんある。考えることがたくさんある。人生がパレットだったら、わたしのパレットは大好きな人たちの色でいっぱいで、そのおかげでわたしが見ている世界には色がついているんだと本気で思った。

 

自分の大好きなものを好きな自分が好きだった。末っ子だった私はマンガもアニメもゲームもぜんぶ姉たちの影響を受けていた。もちろんそれらも大好きでそれは本当。けどアイドルだけは、アイドルを追うことは絶対に誰のおかげでも誰のせいでもなかった。あるとき目の前に現れて、わたしが、あの人を、好きになった。そういう出会いが、この世の中にあるんだと知った。そういう出会いでわたしの人生は続いてきた。アイドルを追う生活をし続けて、気づいたら人生の半分以上がそんな生活だった。

 

8年前、大好きだった子がグループから卒業した。3年前、大好きなグループが長いお休みに入り、2年前、またある大好きなグループは解散することになった。

 

わたしの人生って一旦ここで区切られて、第1章は終わったことになって、新しい章を、人生を始めなきゃいけないんだろうな、と思った。誰に何を言われたわけでもないけど勝手に自分で自分にそう思った。あまりにも今までにアイドルに救われて彩られて生きてきたからどうやって生きていけばいいかわからないけど、それでも人生は続くし生きていかなきゃいけないし、実際生きていけはするんだろうなとも思った。

大人になったんだから、自分で歩き方を探して歩いて行ける。でも、宝物を入れる箱をあけるときはもう一生こないのかもしれない、と心のどこかで感じていた。

 

 

6月25日、映画館に行った。一人で電車に乗って、一人で発券して一人で一番後ろの席に座った。

コンサートが見たかった。

 

自分でもあまり分かってないけど、たぶん私はずっと誰かに宝箱をあけられたかった、んだと思う。けど、彩りが失われ始めたあの時からずっと頭から離れない言葉があった。

 

アイドルは探すものじゃなくて向こうからやってくるものだから」

 

今、今までで一番この言葉が感覚としてわかる。無理やり探したって見つからない。好きになろうかな、で好きになれたらもうとっくになってるよ、って人生の半分以上オタクしてきてわかってるつもりだったのに、多分2年間ぐらい私は探してしまっていたのだろうな、と今考えれば思う。

だから、探そうとするのはやめて、ただコンサートをコンサートとして見ようって、そう思って行った。コンサートが見たいのは本当だし。向こうから誰かがやってきてくれたらそんなにうれしいことはないけど、探したって意味ないって、今はちゃんと思えてるから。

 

overtureが始まるととてつもなく泣きそうになった。コンサートが始まる直前がこの世で一番好きな時間じゃないかと思うほどに好き。今まで何回も経験した気持ち。今まで何回も噛みしめてきた感情。やっぱりコンサートが好き。アイドルの魂の輪郭が見える特別な瞬間がそこにある。なにも知らなくても、なにも分からなくても、魂の輪郭をなぞってその人の形がわかる。それがうれしかった。この人はこうやって歌う、こうやって踊る、こうやってしゃべって、こうやって黙って、こうやってファンの顔を見るんだ、こうやってメンバーの横に立つんだ、こうやって、ステージの上にいるんだ。ステージの上にはアイドルのすべてがあるんだと、そう思う。言い方的に語弊があるかもしれないけどアイドルって、アイドル自体が物語コンテンツだと思っているので。(アイドル自身に人は物語を見る(見つける)、し、それを求める、という意味で。)とにかく絶対DAY2も見なきゃ。これは絶対だ。DAY1上映中にそう思った。そしてじわじわと自分の胸に上ってくる感情、最後の曲を終えてアンコール曲が始まって確信に変わってしまったそれ

 

アイドルは探すものじゃなくて向こうからやってくるものだから」

 

帰りの電車ですぐに携帯にメモした。家までこのそわそわが落ち着かなかった。

 

一織くんってかわいい。

和泉一織のことをもっとちゃんと知りたい。

 

アプリ始めたらハマっちゃいそうでやばいかも、とか口では言いつつ正直絶対にやる選択肢しかなかった。だって一織が目の前に現れてる。誰にもあけられないと思っていた宝箱を一織があけてくれた。

 

この箱、しまわなくていいんだ。

まだ、開くんだ。

白黒に映ってた自分の人生という名の世界がムビナナを見終わった途端に色づいたように見えた。例えだけど、本当にそんな感じだった。私の人生、たしかにあの時一旦終わったのかもしれない。でも、アイナナに出会うために閉じた幕だったのかもしれない。そんなことを本気で思う日々に変えた。ムビナナが変えた。ムビナナが、確実に私の人生を変えてくれた。ムビナナに出会ったあの日から、楽しくてしょうがない。ずっとずっとずっとずっと、毎日が楽しくてしょうがない。何回も映画館に通って知らないストーリーを毎日読み続けてライブに応募して音楽を聴いてテレビの前に正座して街で広告を見つけて仲間と何時間も話し続けたあの日々が。今、アイナナが、アイドルが、ずっと私と共にある。日々の営みの中で自分でも驚くほど心が動く私が大好きな人生。ムビナナがくれた人生。いつか終わるとか終わらないとかそんなこと、考える暇なんてないほどに夢中で好きでしかたがないこと。

 

ありがとう。私の人生に続きをくれて。

 

 

拙いけどムビナナへのありったけの花束、のつもり。